2009年11月06日

春菊とトマト

 一か月ほど前に種をまいた春菊の丈が高くなった。土に肥料分が少ないので育ちが遅いものの、葉が分かれて房になった。二本ほど摘んで味噌汁に入れたら、春菊の味がする。さくさくと春菊の香りをかみしめ、「えらいえらい」と言った。
 秋の最後のトマトを採った。台風で他の実が落ちてしまう中で、最後まで枝に残って赤くなったトマトだ。「えらいえらい」と皮をむきながら言った。

 秋のしんと静かな夜、トマトは口にひんやりと冷たい。
 今日は一匹だけ、細い声で虫が鳴いている。寒い夜だ。
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2009年10月27日

ある秋の夜

夜半の台所の時計の文字盤に、一匹の蛾が身動きせずにとまっている。
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2009年10月26日

台風

雨と風が強く終日家にこもっていた。届いていたら短歌の月刊誌が濡れているかもしれないと思い、夜のポストを見に外に出る。暗いポストを手で探ると、封筒の厚みが手に触れる。いつもなら手が切れそうなほど鋭利に裁断された紙がしっとりと湿っている。表紙の墨絵の彼岸花の細い線が美しく、乾くまでそっと机の上に置く。
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2009年10月21日

素朴な琴

素朴な琴-------八木重吉

このあかるさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかねて
琴はしずかに鳴り出(いだ)すだろう

「これはおそらく日本語で書かれたもっとも美しい四行詩である。/作者は秋の明るさ、美しさを表現するために、そこに一個の「素朴な琴」を置いた。美に共鳴する琴は、そのまま作者の心である。琴が「秋の美しさに耐えかね」て鳴りいだすように、重吉の心は人生のさまざまな局面に触れて哀切な音色を発した。」----郷原宏

自分が最初にこの詩を読んだ頃は、「秋の美しさ」というのがよくわからなかった。詩歌を紙の上に限定していて、捉え方が狭かったのだと思う。
タイサンボクの葉が日に光る今日のような秋の日には、今しみじみとこの詩を思い出す。目に映った外の景色が、紙の文字の上に戻ってくる。

数十年前に読んだ詩。秋は色あせずに毎年めぐってくる。
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2009年10月12日

虫の音

小さな虫に生まれ変わったらどんなものだろう。

そう考えていると、五日目で草陰に命が尽きても、うっかり人に踏まれても、鳥についばまれて運び去られてしまっても、何ほどのこともないような気がしてくる。
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2009年09月30日

夜の階段

夜中に目が覚めて水を飲みに起きた。暗いままの階段を下りている時、昼間、事務連絡の電話口で名前と年齢を告げたことを思い出した。その時は何とも思わなかったが、ふと齢が生きた年の数として思い出され、窓に差し込む月の光に一瞬の回顧がよぎった。よくそんな年数を生きられたと思いながら、ゆっくり階段を上った。何の物音もなく夜は静かだった。
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2009年09月29日

かけっこ

運動会でビリだといけないのかな。

一周遅れのトップランナーにだってなれるよ。
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2009年09月23日

夢の旋律

 夢の中で曲を聴いていた。誰かが弾いていたようだった。私はそのアーティキュレーションを歌って伝えた。布団の中で実際にも口ずさんでいたようで、目が覚めても憶えているだろうと思った。
 眠りは長引き夢は場面を変遷した。目が覚めた時は旋律の記憶の跡形もなかった。
 寝床の中で記憶を探るように耳を澄ました。窓の外の風の音が聞こえた。
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2009年08月17日

狸とキュウリ

 庭の苗にキュウリが生った。葉陰に隠れていてわからないまま大きくなった一本は、山の狸がかじったらしい。小さな歯型がついて土に落ちていた。キュウリが大きくなっていることに初めて気がつき、毎日見ることにした。
 まだ小さいから待とうと思ったものは、一日置いただけで熟し過ぎて食べられないほど育ってしまった。同じ苗についた四本は揃って採り頃になった。
 鋏で切って手に取ったら、棘が痛い。店で選ぶときは出荷される間に棘は落ちて、表皮に少しの突起があるだけになっている。キュウリの棘の鋭さを初めて知った。
 それは店に並んでいるキュウリとは全く違うものだった。実っているキュウリは人のためにある食べ物ではなかった。むしろ果肉の中の種が十分大きくなるまで、身を守るために棘があるのだった。苗につながっている間のキュウリは、生きて命を育むもの。山の狸も私も、その命を分けてもらうのだと知った。
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2009年08月10日

雨宿り

 隣の部屋のサンルームとの継ぎ目から雨が漏れているらしい。滴が落ちる下にバケツを置いた。
 窓辺の明るいところで編み物をしていると、隣の部屋からゆっくり等間隔に鼓を打つような雨だれの音が聞こえてくる。最初はアンダンテ。やがてアダージョ。雨が小やみに近くなると、一定だった音の感覚が間遠になる。
 途端に木立の蝉が鳴き始める。鴉が鳴きながら空を横切る。窓辺の屋根下のテラスに雀が一羽下りてくる。ぷるぷると体を震わせて、羽についた滴を落としまた忙しげに飛び立っていく。
 窓越しに庭を眺めると、緑一面の庭に、昨日採り忘れたトマトが一つ、雨に濡れながら赤く色づいている。
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