2009年07月11日

 庭に雀が来る。明るい窓際に椅子を寄せて編み物をしていると、窓のすぐ下の地面の上で何かをついばんでいる。
 パンくずをまいてみた。雀が来ると編み物の手を止めて、ガラス越しに見入るようになった。忙しくついばんではすぐに飛び去る。鳥は敏感で、近寄ったり、大きな身動きをすると逃げてしまう。
 雀がよく見えるように、くもっていた窓ガラスを拭いた。
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2009年07月03日

山鳩

 ウグイスは木立の遠くに鳴き、雀は軒下まで来る。近くの木には山鳩が来る。「チベット航空、チベット航空」と鳴く。なぜそう聞こえるのかはわからない。私自身がそれをどこで聴いたことがあったのだろう。

 今日来た鳩は同じ節回しだけれど、「航空」の部分のイントネーションが少し違う。声も少し太い。いつものよりも大きな、歳を取った鳩かもしれない。

 いずれの鳥も姿が見えない。木立の右に左に、遠くに近くに、その鳴き声に耳を傾ける。
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2009年06月12日

白い朝顔

 店の駐輪場の自転車に戻ったら、隣に停めた人の籠の白い朝顔の束が目に入った。「きれいですね。色のないものもいいですね」と言ったら、「一本あげましょう」とひとつくださった。
 自転車の前の籠にそっと立てかけたら、ぺダルをこぐたびに花房が揺れた。丸い房は十五センチ近く、大きく豪華で、けれども薄い黄緑色の花の群れは清楚でつつましく、家に着くまでうれしく見つめた。
 帰ってすぐにコップにさしたら、細いコップに花がますます大きく見えた。コップが倒れないよう水をたくさん入れた。 
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2009年06月09日

『桜桃とキリスト』

 『桜桃とキリスト』(長部日出男)を図書館で手にとった。著者は文学畑の人ではないようだが、内容が精密なのは、本人も書いている通り、『太宰治総述総覧』山内史からの引用がかなり多いためだろう。

 『走れメロス』については、古伝説に拠ったシラーの詩を読本にしたもので、太宰が読んだのは小学校の時であったらしい。そのあと再びシラーを原典として書いたようである。
 物語の最後、メロスが真裸であったと書き加えたのは、「美談」を記し終えた太宰自身の含羞でもあろうと思う。

 太宰には山岸外史という知友がいた。親友といってもいいと思う。文学をやめたためもあって知る人は少ないと思うが、細君をして「山岸さんさえいれば太宰は死ななかったものを」と言わせたような相手でもあった。物憶えの良い人であったらしく、太宰とのやりとりは細かく回想されている。(以下の引用は山岸の『人間太宰治』による)
 山岸の無精ひげを見かねて、「日本剃刀は使えるか」を聞いた太宰が山岸のひげを剃ったことがある。太宰も雑事はできず、山岸もまた自分のひげも剃れないような人だったかとも可笑しいが、太宰が自ら剃刀をとった心遣いに山岸は打たれたようである。

 太宰が自殺に失敗して帰ってきたとき、山岸は相当怒った。叱ったのではない。怒った。相手の行状云々ではなく、「友人として無視、侮辱」されたことを怒ったので、太宰は反論のしようもなかった。「狼が出たと叫んでは、村中の人を愕かした(ママ)嘘つきな少年の話があったネ、あの話は、小学校の修身の話の中で、ぼくがよく憶えている話なのだが(中略)君、あの話なんかどう思いますかね」
 平静はしばしば「それだから君はイカンのだ」と大喝するような気質の山岸が、こういう物言いをするときは、「ぼくは怒っていたのだ」には間違いない。「裏ぎられた友情への分懣(ママ)もはげしかったのかもしれない」

 長部は太宰がシラー原詩の『走れメロス』の原型を「修身の教科書で読んだ」という。ならば、それを回想したきっかけは何か。さらには、その情緒的な肉付けはどこから取ったのか。
 作家とはいえ脚色はあれど、丸きりの絵空事というのはない。私の知る限りそれは山岸との体験以外にはないように思う。

 なるべく負荷の少ないところを再度引用。
「ひと騒がせをやった太宰の人間への甘えを叩いたというよりも、ぼくの神聖な領域(原文傍点)を侵してきた太宰の無智に憤ったのかもしれない。」
 てらいなく「僕の神聖な領域」と書けるのも文学青年だった人らしいところだが、何よりも山岸の憤りは、世間知から発した言葉ではなかった。あくまで二者の交友の上での言葉だった。

 『桜桃とキリスト』より引用する。
 「昭和十一年初夏のある晴れた日、船橋の家を訪ねていった小野(注:小野正文)を、海岸に誘った太宰は、眼前にひろがる東京湾を眺めていった。
 「僕の、いま一番書きたいのは、天にとどろくような美談だ」
太宰が二度目の「鎌倉自殺未遂事件を起こして、先輩や親友たちを大いに心配させたのは、その前年の春である。(中略)
 そうしたこれまでの生き方や作品と、「美談」という言葉が、すぐには結びつかず、小野は一瞬その真意を測りかねた。(中略)
 小野はやがて『走れメロス』に接したとき、「天にとどろくような美談」とは、つまりこれであったのか……とおもい当った。」

 この「鎌倉自殺未遂事件」が、先に記した、山岸が太宰を「怒った」その出来事になる。
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2009年06月01日

「一握の砂」と朔太郎

あたらしき背広など着て
旅をせむ
しかく今年も思ひ過ぎたる

啄木のこの歌に触発され、萩原朔太郎が「旅上」を作ったという。(朝日文庫 近藤典彦編「一握の砂」より)

――――
旅上

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

――――「抒情小曲集」より

朔太郎には詩人としての前に、「ソライロノハナ」という自筆歌集があり、啄木の歌集との接点もあっただろう。

わが泣くを少女(をとめ)等聞かば
病犬(やまいぬ)の
月に吠ゆるに似たりといふらむ

上からは、容易に朔太郎の詩集タイトルが思い浮かぶ。

冒頭二首。

東海の小島の磯の砂浜に
われ泣きぬれて
蟹とたわむる

頬(ほ)につたふ
なみだのごわず
一握の砂を示しし人を忘れず
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2009年05月16日

山の動物たち

 庭で隣の人が「おはよう」と声をかけてくださった。手に小さなお碗を持っている。リスがいるから、山道にリンゴを置いてきたのだという。「狸もいるよ」庭に残った野菜くずを埋めていると、朝になると土を掘り返したあとがある。野良猫ではないようで、他に何がいるのか不思議だった。狸は夜行性で夜のうちにやってくるらしい。

 隣にお孫さんたちが来て山をのぞきに行った。「じいじ、ばあば、リスがいるよ」ひとしきり木立の中に、子どもたちの声がこだました。

 野菜くずは土に埋めずに地面の上に置いてみることにしよう。狸の好物は何だろう。
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2009年05月15日

春疾風(はるはやて)

 風が強い日、前の木立の木がざわざわと音を立てている。冬は枝だけだった裸の木に青葉がいっせいに芽吹き、東の窓は緑一色になって、緑の群れが大きなうねりのように揺れている。

 日中のまどろみから目が覚めたとき海の波の音を聞いた気がした。葉ずれの音がまだ続いていて、カーテンが風にあおられている。夕方の空気が冷たい。開け放したままになっていた窓を閉めて、カーディガンを羽織った。
 
 *春嵐、春疾風――春先に吹く強い風。春荒れ。
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2009年05月04日

海へ行く道

 買いものに行こうと自転車に乗り、今日はまだ自転車では行ったことのないスーパーに行ってみようと思いついた。山から海に向かって真っすぐ下ったところに、いつも行っているスーパーのチェーン店がある。
 自転車では初めて走る道、線路のガード下をくぐると、パチンコ屋の看板に「海」という大きな文字が見える。スーパーの前まで来て、伸びている道の先を目で追ってみた。道の先端の信号が赤く点っているのが見える。海の入口まであと数百メートルくらいか、今度晴れた日に行ってみようと思った。

 父が留守の高校生のある日、母が愛人を家に連れてきていた。母はその人が車の運転ができるから海に連れて行ってもらえる、と言って、私に「あなたは海が好きでしょう」と言った。
 母がそのあと30km離れた市にアパートを借りて、私をそこに住まわせたのは、私がそれに「ええ、ママ。海を見に連れて行ってもらえてうれしいわ」と答えられなかったためかもしれないと、私はあとで考えた。

 遠くにあると思っていた海は、自転車でさえも来られるようなこんなに近くにあったのかと思った。日が海に上り山の向こうに沈むこの土地では、道は海に向かってなだらかな傾斜を見せている。
 その道を逆にたどりながら、帰ったら出がけに焼いたスコーンを食べようと思いながらペダルをこいだ。
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2009年05月02日

校歌

 生家に草取りをしていると、山のふもとの母校の中学校から校歌が聞こえてくる。懐かしいメロディーと歌詞に耳を傾ける。

 このあいだ、あなたを待っていた時、ロビーのBGMの和音をいつも持っている五線譜に書きとった。どこかで聞いたことがある和音。チャイコフスキーだったろうか、時折反芻しながら思い出せないでいる。何かのヴィジョンが見えそうで見えないまま、その和音が私の中にこだまする。

 連休前の今日、学校は何かのイベントらしい。山の木立の向こう、新緑の合間の空をつたって、ざわめきが伝わってくる。
 
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2009年04月29日

隣人の声

 よく晴れた朝、庭で洗濯物を干している隣の人の話し声がする。
「今日も良く来てくれましたね」
 しのびやかで穏やかな声。山の木立から庭先に降りてきた鳥に言っているらしい。人に話すよりやさしい小さな声だ。
 今日も木立からこもごも鳥の声が聞こえる。
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